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書評:『ちぐはぐな身体 』鷲田清一による「ファッション×哲学」の本

哲学書

 

ファッションというのは、規定の何かを外すことであり、ずらすことであり、くずすということであり、つまりは、共同生活の軸とでも呼べるいろいろな標準や規範から一貫して外れているその感覚のことだ。

 

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ちぐはぐな身体 ファッションって何? あらすじ

ピアスや刺青をすることの意味とは?コムデギャルソンやヨウジヤマモト等のファッションが問いかけているものは?そもそも人は何のために服で体を隠すのか?隠すべきものの実体は?若い人々に哲学の教授が身体論をわかりやすく説いた名著、ついに文庫化!「制服を着崩すところからファッションは始まる」。

筑摩書房HPより引用

ちぐはぐな身体 ファッションって何? ファッション×哲学

ファッションって難しいですよね。

洋服にあまり興味のないぼくは機能面重視で洋服を購入していて、ユニクロかワークマンが多いです(笑)

そんなぼくでもこの本はファッションを入り口に人の身体や洋服の在り方について哲学的に描かれているので、楽しく読むことができました。

実はこの本、知り合いの古着屋さんに「最近『暇と退屈の倫理学』って哲学書を読み始めたんだよね」という話をしたときに勧めてもらいました。

その古着屋さんは友人と一緒にこの本の感想についてラジオで放送してるそうなので、もし本を読むことが難しそうだなと思った方はこちらから聞いてみてください。

出版社は筑摩書房

筑摩書房
筑摩書房の公式ウェブサイト。新刊案内、書籍検索、パブ情報、採用情報、イベントや文学賞の案内。

筑摩書房は1940年に創業。

太宰治全集や宮沢賢治全集など、文学者を中心とした個人全集を増補改訂し繰り返し刊行するので、「全集の筑摩」と呼ばれています。

1985年にちくま文庫が創刊。

『ちぐはぐな身体 ファッションって何?』もちくま文庫の出版となっています。

有名な作品にロバート・キヨサキさんの『金持ち父さん貧乏父さん』があります。

この作品も筑摩書房だったんだと何気ない発見があるので、ぜひこちらのHPも覗いてみてください。

著者の鷲田清一さんってこんな人

鷲田清一(わしだ・きよかず) | art node

鷲田清一さんは1949年京都出身の哲学者。

京都大学文学部哲学科を卒業し、京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得しています。

現在は京都市立芸術大学理事長・学長を務めており、『モードの迷宮』、『「ぐずぐず」の理由』、『「待つ」ということ』などの著書を出版しています。

高校の現代文の問題で、鷲田清一さんの文章が出題されることもあり、現代文を担当している学校の先生や塾講師の方は知っている人も多いのではないでしょうか。

こちらに鷲田清一さんの情報が書いてありますので、興味がある人はぜひみて見てください。

ちぐはぐな身体 ファッションって何? こんな人におすすめ

ファッションに興味がある人はぜひ読んでみてるといい作品です。

なぜ服装がそのような形をしているのか、機能面や精神面から考察が書いてあり、ファッションについて疎いぼくでも楽しむことができました。

また、哲学に興味があって哲学書に挑戦したいと思っている人にもおすすめです。

哲学書ってすごく難しいイメージがあると思いますが、この作品は文字の大きさが大きかったり、行間が空いていたりするので、読みやすい本となっています。

現代文の問題にもなっていることから、学校や塾で国語の先生をしている人は読んでいくと勉強になるのではないでしょうか。

心に残った「制服」について

制服について考えているページがいくつかあるのですが、そこがおもしろかったので、そこからいくつか抜粋します。

ぼくらをがんじがらめに拘束するかとおもえば、ときにひとをディープに誘惑する装置でもあり、また「じぶん」というものについてのガチガチになった固定観念を緩めてくれるかとおもえば、散らばった気持ちをぐっと引き締めくれもする装置である制服、そのあやしい秘密はいったいどこにあるのだろう。

 

制服という服装について、こんなおもしろい文章が書けるのすごい。

 

一義的な社会意味と行動の規範が明示された制服は、 社会のなかの個人としてのじぶんに確定したイメージを与えてくれる。服が自由すぎて、選択の幅がすこぶる大きくなるとじぶんを確定する枠組がゆるくなりすぎて、かえって落ちつかない。制服のほうが選択に迷わなくてかえって楽なのだ。

 

大学生になったときに、高校生みたいに制服欲しいって感じたのを思い出しました。制服って楽ですよね。

 

制服を着るとひとの存在がその(社会的な)≪属性≫に 還元されてしまう。そうすることで、ひとは「だれ」として現われなくてもすむ。人格としての固有性をゆるめることのできる服とは、そのなかに隠れることができる服である。そう考えると、現在の制服も、人びとによって、人権の拘束とか画一化などといった視点からではなく、 むしろ制服こそが”自然体”という感覚で受けとめられだしているのかもしれない。

 

私服だとその人を着ている個人として扱われるけど、制服ならどこどこの人って大きな枠組みと捉えられますよね。個人が受け入れられにくい日本社会は制服の方が合っているのかもしれない。

Twitterの感想


身体のイメージって難しいですよね。「イメージが最初の服」って考え方、そんな発想出てこないなぁと思います。

 


ファッションで表現したいものと隠したいものって深く考えたことなかったです。なんだろう。身長高く見える服とかいいな〜って思いますね。

 

ファッションって人の生活の基盤である衣食住の衣ですもんね。そのファッションについて掘り下げると自動的に生活や暮らしを掘り下げることになる。

まとめ

人間が浄化され、すべてが浄化され、社会的感染や細菌の感染に終止符が打たれたとき、死ぬほど清潔で、洗練された宇宙には、悲しみのウイルスしか残らないだろう。

作中に出てくるこの言葉が好きです。

悲しみのウイルスー!おしゃんな言葉だー!と思って付箋を貼りました。

この作品が描かれたのは1995年なので現代の感染症の問題とは関係ないですが、感染症についてこのように描かれている哲学書っておもしろいですよね。

『ちぐはぐな身体 ファッションって何?』にはこのようにファッションとは直接関係なさそうなことも書いてあります。

服を着るってなんだろうと原点に立ち返るきっかけになると思うので、もし洋服が好きな人や哲学が好きな人は読んでみてください。

 

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最後まで読んでいただきありがとうございました!

ではまた!

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