ドラえもんになれた日
のび太くんを助けるためにいるドラえもん。
仲間から「そうだ、こみーにお願いしよう!」と超タイトスケジュールな相談を受けました。
普通、嫌ですよね、タイトなスケジュールの相談。なんでもっと早く言わないの!って思うじゃないですか。
でも、頼ってもらえて嬉しかったんです。
理由は、その人がちゃんとのび太くんだったから。ジャイアンやスネ夫みたいな人じゃなくて、応援したくなるようなのび太くんだったから。のび太くんのためならしょうがないなぁってなっちゃいますよね。タイトなスケジュール嫌ですよね〜と言いつつ、ぼくが楽しそうなことだったら燃えてしまうタイプだったというのもあるかもしれませんが。
最終的に「のび太くんとしてドラえもんに助てと言うことができた」というプロセスを踏めたことが大成功なのではないかという評価をもらっていたそう。超優秀なのび太くんだったと思います。結果ももちろん大事ですが、結果を出すために動いたからこそ、そのプロセスに価値があったんじゃないでしょうか。
ドラえもんがドラえもんとしていられるのは、のび太くんがいるからです。ドラえもんにしてくれてありがとうと、感謝の気持ちを伝えたい。これからものび太くんにとってのドラえもんとして在り続けられるように、精進していこうと思います。
ちなみに、好きなドラえもんの話は「帰ってきたドラえもん」です。ジャイアンに立ち向かうのび太くん、かっこいい。泣ける。
愛の形
不倫
仲間が「ラブ」について発信をしています。その発信のひとつ「不倫」についての投稿が目に止まりました。
「妻を愛している。しかし、それと同じくらい彼女も愛している」
こんな言葉からその投稿は始まります。簡単に要約すると、「自分の欲求を正面から自覚し、今の環境を壊さず、全力で自分の欲求と向き合っている男性の話」でした(要約しているので厳密にいうと違う可能性があります)。
「不倫は良くないもの」と、思考停止で決めつけてしまえば、確かにトラブルは起きません。しかし、何歳になっても自分の人生の可能性を信じてみたくなるものだと思います。今回、投稿を読んで、何事に対しても、深く考えずに「悪いこと」とジャッジしてしまう生き方はしたくないと思いました。
福祉
仲間が「介護のオモテとウラ」というセミナーを開催。正直、介護のことに興味があったというより、その仲間が企画していることに興味を持って参加しました。親の下の世話はしたくないという子ども。子どもなんだから親の言うこと聞いてよという親。立場によっていろんな意見があると思います。親だからこそ、子どもだからこそ、本音で話し合うことの大切さを伝えてくれた会でした。
ちょうど、仕事で障がい福祉に携わっている方と話をする機会がありました。福祉の世界って複雑だなと思ったのが第一印象。障がい福祉の分野だと思っていたことが、社会福祉の分野だったり、素人の自分には難しかったというのが正直なところです。
ある社会において、障がいあると認定された個人が生きづらいのは、社会がその個人に対して生きづらい環境であることがいけないのではないか。社会は誰に対しても生きやすい形になるように、変わらなければならないのではないか、というのが最近の風潮な気がします。確かにそうではあるかもしれないけれど、すべてを社会のせいにしたり、社会がどうにかしてくれると思うのは絶対に違う。個人の努力があるからこそ、社会がそれを助ける形で支え合うのがいい気がするのです。
たまたま今聞いているコテンラジオというラジオの回が「老いと死の歴史」・「障害の歴史」・「社会福祉の歴史」の回でした。老人の定義、宗教・国・文化それぞれの死についての考え方、優生思想とダーウィニズム、コテンラジオはめちゃくちゃ考えさせられることばかり伝えてくれます。
「年齢区分というのは、物事を都合よく解釈できるための指標であり、老いに関しては個人差があるので、年齢区分する意味がないのではないか」と話していました。
ある文化の中で生きていると、その年齢で考えることや起きる現象は、共通している可能性が高いというだけで、別に早い人と遅い人はいるし、意味ないのかもなと考えるようになりました。
実際、自分も年齢の割に落ち着いていて20代に見えないってよく言われます。「ありがとうございますー。さて、楽しい話しようぜー」っていうのがぼくの本音です。大人っぽいことで相手を驚かしていることに気持ちよくなっていたり、そこに居心地の良さを覚えている自分もいるんだろうと思います。それでも、自分というひとりの人間をちゃんと見てくれる人、愛してくれる人が好きだなと思ったし、自分もそうやって目の前の人をちゃんと大切にできる人間でいたいなと思いました。
フロム
仲間が「読書会」を定期的に開催しているのですが、今回の読書会で用意する本は、テーマに沿った読みたい本で、そのテーマは「夢とは」でした。具体的には「自分が感じている(知りたい)テーマの答えを教えてくれそうだなと思う本」ということで、先ほどの不倫の投稿文を読んだあとだったので、誕生日にプレゼントしてもらった未読のエーリッヒ・フロムの『愛するということ』を準備して参加。
「この本はどんな本?」「どんなメッセージを投げかけている?」「パラパラめくってどんなキーワードが目に止まった?」など、いろんな質問に答える形の読書会で、「愛すること」についていろんなことを考える機会になりました。
とある企画で、「愛」についてプレゼンをしてくれた仲間がこの本をベースに「愛」に資料を作成したので、一部出てきたフレーズは覚えています。一生考えていくテーマなんだろうなと感じました。まだ本を読んでいませんが、これからこの本と向き合うのが楽しみです。
もらいもの
所属しているコミュニティの文化のひとつに、誕生日に欲しいものリストを共有してプレゼントを贈ろうというものがあります。先日、たくさんの誕生日プレゼントが届きました。ダンボールいっぱいの本。とても嬉しいです。本を購入することは、いつでもその本を読むことができるというアクセス権を買うことである。ぼくの好きな言葉のひとつです。すぐに読まなくていいのです。そこにあることが大事なのです。ほんとうに幸せ。
プレゼントは誕生日だけではありません。ほんとにたまたま、使わなくなったからと、手動のコーヒーミルと注ぎ口が細いコーヒーケトルをいただきました。ずっと、欲しいと思っていたんです、コーヒーセット。数日後、別の仲間からお土産にコーヒー豆をいただきました。こんな素敵なタイミングでいろいろ揃うとは。去年から始めた1人暮らしの家には、そうやってたくさんのいただきもので溢れています。
「もらうことの感度を上げてみると世の中もらうことで溢れていることに気がつくよ」「あなたのように人のご縁でまわっている人は、一生人のご縁でまわるから大丈夫」先輩たちからそんな言葉をかけてもらったことがあります。思い返すと、遊びも仕事も、ご縁で繋がっていることばかり。自分がどれくらいできているのか分からないけれど、たくさんの人から愛をもらっているなと感じた5月でした。
まとめ
コテンラジオの「障害の歴史」のまとめで、「現代人は分からなさに耐える知的耐力が必要だと思う。知的耐力がないとすぐにあーはいはいってYouTubeとか見てしまう。スマホで調べて得たものと、このラジオ8時間聴いて得るものは違うし、もっと言えば、現場に行って体験した方がいい」と話していました。
知的忍耐力。調べればすぐに答えが出てしまうような時代になったからこそ、分からないよねという前提で、物事に取り組むこと。そもそも正解なんてないよね、と思いながら、答えのないことに向き合い続けること。これからの時代に大事なことのひとつなんだなと思いました。そして、「体験」というのがちょうどテーマなのかもとやんわり思っていたので、そこを確認できたのが良かったです。
年齢区分に意味はないのかも、と思いつつ、やはり20代最後かぁと思わずにはいられません。焦りとか不安とか、このままでいいのだろうかとか、社会人になってからずっと感じています。しかし、当時と比べると、できることが増え、付き合う人が変わった今、その不安や焦りのフェーズが上がっているように感じています。愛したい人から愛されているという事実を受け止めながら、これからも前に進んでいこうと思います。
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