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八日目の蝉 本当の母親とは

書評

 

 

その子は朝ごはんをまだ食べてないの。

 

 

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八日目の蝉 あらすじ

 

逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか…。東京から名古屋へ、女たちにかくまわれながら、小豆島へ。偽りの母子の先が見えない逃亡生活、そしてその後のふたりに光はきざすのか。心ゆさぶるラストまで息もつがせぬ傑作長編。第二回中央公論文芸賞受賞作。

母と娘から語られる3部構成

この作品は0 ~2章の3部構成になっています。

しかし、ぼくはこの作品は0と1章で1部、2章の中に前半と後半があり、その合計で3部構成になっていると思っています。

主観が誰にあるかで分かれていると思っていて、具体的には母の希和子と娘の恵理菜で主観が分かれている場面です。

誘拐した犯罪者も、子どもを誘拐された両親も、誘拐された本人も、みんなが共通して感じているのは「なんで自分なの」という言葉でした。

特に、誘拐された被害者である恵理菜の価値観が変わっていく姿が、読んでいて辛くもあり応援もしたくもなります。

「誘拐」という特殊な経験を持つ人間の視点が描かれている作品です。

七日目の決意

セミは7年間土の中で成長し、地上に出てきて7日間しか生きられないというのは有名な話ですよね。

この作品のタイトルは『八日目の蝉』ですが、UVERworldというアーティストの曲に『7日目の決意』という曲があります。

この作品を読み終えてから、歌詞を表示させながらPVを見てみると、視点が少し違うことに気づきました。

この作品で表現されていたのは、8日目を生きたセミ。

歌で表現されていたのは7日目のセミ。

タイトルから1日ズレていることもわかります。

PVもストーリーのある映像なので、興味のある方はぜひ見てみてください。

母親とは何なのか

この作品のキーワードはなんといっても母親です。

自分1人じゃ不安だけれど、この子と一緒なら何とかなるんじゃないかと思うことができるのは、母親ならではなの感覚なのではないでしょうか。

この記事の冒頭で記した「その子は朝ごはんをまだ食べてないの」という言葉が、ぼくは一番母親らしく、この作品で一番ゾワっとしたシーンでした。

母と子の絆系のお話にぼくはすごく弱いのですぐに感情を揺さぶられてしまいます。(ヒロアカのデクママのシーンで泣きそうになったw)

この作品の類似作品として、東野圭吾さんの『人魚の眠る家』、辻村深月さんの『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ』があるなと感じました。

八日目の蝉 感想

 

 

普通よりも長く生きられることは幸せなのか、かわいそうなのか。
このテーマで討論しても面白そうですね。どこかの読書会なので機会があったらぜひ。

 

 

 

8日目のセミでもいいから、隣に誰かいてくれたらいいって素敵な価値観だなと思いました。
上の感想のような二元論もいいけど、こういう発想も好き。

 

 

 

この作品の感想に瀬戸内の風景や小豆島について述べられている人が多くて驚きました。
いつか行ってみたいですね。

 

 

 

親子について考えさせられる作品ですね。
この作品の表現だと希和子の母親としての姿がとても印象的です。恵津子の母親の姿があまり描かれてないイメージです。

 

 

 

あり得ない話なんですが、自然と他人お子どもを誘拐した希和子に感情移入してしまうんですよね。
気がつくと薫といつまでも逃げ続けてって応援している自分がいました。

 

まとめ

この作品は2011年4月29日に映像化されています。

映画を見てから小説も読みたいと購入した人も多かったようです。

小説→映画という順番になりますが、ぼくも映画を見てみようと思います。

ご感想や質問はこみーのTwitterのDMか質問箱にいただけると幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

ではまた!

 

 

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