この時期、大学4年生や修士2年生は卒論、修論を追い込む時期だと思います。
去年、大学院の特別推薦までもらっていましたが、卒論で様々な人との素敵な出会いがあり、本当にこのまま大学院に進んでいいのか悩み、卒論も書けなく、うつ症状が出て精神科を受診しADHDの傾向があると診断されました。
今回はそんなぼくがどうやって卒論を乗り越えたかをお話しします。
研究テーマが決まらない
ぼくは土木学科の都市計画の研究室にいました。
理系の研究室は先輩の研究を引き継いだり、研究室に配属された時からどの分野を研究していくか決めたりすることが多いです。
ぼくの研究室は先輩の研究を引き継いでもいいし、自分で考えてもいいよという研究室でした。
夏くらいには地元の都市計画について書こうと決まっていたのですが、どの角度から攻めたらいいのかはっきり決められませんでした。
類似する先行研究を読んだり、地元のまちづくりのボランティアに参加したり、気づいたら夏が終わり、教授からもどうするの?と圧をかけられるようになります。
やらなきゃいけないとわかっているのに体が動かない
頭の中は卒論でいっぱい。
余裕がなさすぎてバイトもやめ、卒論に専念すると決めたものの、何を書いていいかわからない。
頭では卒論をやらなきゃいけないとわかっているのに、面白そうなまちづくり系の本を読んだりイベントに参加したり、時にはゲームをやってしまうこともありました。
朝目覚めた時もまず頭によぎるのが「卒論やらなきゃ」。
しかし体は動かず、数時間机に向かって作業ができたと思っても、疲労感がすごくしかもその時間で書き上げたことも大したことはありません。
心と体に異変が起こる
ぼくの場合すごかったのが、肩凝り。
元から肩凝りはある方だったんですが、あの時は本当にひどかったです。
体のどこかに力が入ってる感じがありました。
またその生活が辛すぎて運転してる時、
「このまま事故に遭ったら楽になるのかな」
そんな風に考えるようになりました。
ADHDと診断される
体は言うことが聞かない、楽しいことがない。
ふと、今の自分は本当の自分じゃないと思いました。
ぼくの友達で精神科にかかっている友達がいたので、精神科に対してそこまでハードルは高くありませんでした。
そこでぼくはADHDという発達障害の傾向があると診断されます。
精神科の先生と相談しながらADHDのお薬コンサータを飲み続け論文を書くことに決めます。
他の論文の真似、データをお金で買う
診断後数週間は卒論から離れていて、留年するか両親や教授、精神科の先生と話し合いました。
ぼくも親も感じていたのは、このまま卒論を来年に先延ばし下からと言って確実にかけるかどうか不安だったし、早く片付けてしまいたいという思いも強かったことから、頑張って書き上げることにしました。
本論提出まで残り1ヶ月。
ぼくがやったことはある都市の計画を経産省や総務省の出している基準に照らし合わせどうだったのかを検証するという別の地域で行われている論文を、自分の自治体バージョンにするという完全な真似です。(もちろんコピペではありません!!)
またぼくの住んでいる地域に関するデータを研究費で買い、それを授業で使ったことのある無料のソフトで地図上に表示させるという、それっぽいデータを作成し中身を膨らませました。
それまでに自分の自治体についてはかなり調べていたのでその情報や、自分が地域に入り込んで行ったことをを書いたりと、最終的に3万文字くらい書き上げることができました。(ちなみにぼくの学科は字数の指定は特にありませんでした。)
ADHDでも論文は書けます
優秀な論文は終わらせた論文。
全然内容がなくてもとにかく終わらせましょう。
結論はADHDでも論文は書ける!
ぼく以外の研究室のメンバーは成績が良かったらしく、一人を除いて優秀な成績でしたって教授にみんなの前で言われたのを今でも覚えています。
ほんとに大学院進まなくて良かったって思いました。
ぜひ卒論の審査会についての記事もご覧ください。
ではまた!
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